INTERVIEW
事例インタビュー
再生医療用細胞レシピをAIで探索。熟練者と同等以上の効率を達成。
2014年9月にiPS細胞を使った網膜移植手術を世界で初めて成功させた高橋政代さん。現在は株式会社ビジョンケアの代表取締役社長として、最先端の治療を多くの患者に届けるための活動を続けています。今回は、Epistra Accelerateを使った共同研究の背景や今後の展望についてお話を伺いました。
iPS細胞培養は難しく、一部の熟練者の技術に依存していた
まず共同研究をはじめるにあたっての背景や課題について教えてください
私たちは、iPS細胞を使って眼の難病の治療開発に取り組んでいます。治療に適した細胞を作るには、iPS細胞を未分化状態に維持しながら増やしたり、目的の細胞(この場合は網膜色素上皮細胞)へと分化誘導させたりする細胞培養が重要です。しかし、この作業は非常に難しく、これまで最上級の品質を安定して作れるのは少数の熟練者に限られていました。
一方で、より大規模な臨床研究をおこなったり、最終的に多くの患者さんに治療を届けるためには、少数の熟練者だけが培養できるだけでは不十分で、多くの人が細胞培養の技術を習得できるようにスケールさせる必要があります。
もちろん、手順書はきちんと整備してありますし、熟練者が指導した上で経験を積んでいくことで、徐々に手技も向上していきます。しかし、細胞培養は時間がかかるため(網膜色素上皮の分化誘導は約40日)、経験を積むのにも時間がかかり、知らず知らず自己流になってしまったりします。また、熟練者が無意識にやっているコツなどはなかなか伝えることが難しいという課題もありました。
右:Spiber株式会社 Biotechnology部門 部門長 高橋徹
様左:エピストラ株式会社 Ph.D. 共同創業者 CEO 小澤陽介
チームの歯車が噛み合ったら、これまでの限界を軽々と超える成果がでた
複雑な工程であるため、少数の熟練者の方にノウハウやコツが集まりやすく、その上、時間がかかるため、経験も積みづらく、技術継承が難しい状況だということですね。その中でエピストラとの共同研究に踏み切るきっかけはなんだったのでしょうか?
2018年のはじめに、エピストラの小澤さん、理研の高橋恒一さん、産総研の夏目徹さんから、ロボットとAIを組み合わせてiPS細胞を用いた培養のプロジェクトを提案されたのが直接のきっかけです。
もともと夏目さんたちが開発されたロボット(まほろ)については、2015年に産総研に訪問した際に見る機会があり、そのときからロボットが正確に何度でも同じ手順を実行できるという特性が製造に適しているという直感がありました。
ただ、実際にロボットに製造させるためには、熟練者の頭の中にある分化誘導の要点を体系的に取り出す仕組みが必要です。はじめに提案を聞いたときは、その点をどのように落とし込むかが不足していると思いました。
そこで皆で考えて、AIとロボットを組み合わせることで、分化誘導方法の要点を抽出し、熟練者を超える分化誘導方法を作ろうということになりました。色素を持つ網膜色素上皮細胞は分化誘導法の良し悪しを判定するのが容易でとても良い練習問題だし、これは絶対にチャレンジする価値があると思いました。
なによりロボットで作れたら、かっこいいですしね(笑)
2018年だと、ロボットとAIを組み合わせた自律的な探索というのは、まだほとんど例がなかった(A mobile robot chemistは2020年)と思いますし、エピストラも創業したばかりで実績もなかったですが、不安はなかったでしょうか?
もちろん、不安がなかったわけではないですが、それよりも期待の方がはるかに大きかったですね。
基礎研究では、まず特定のテーマを突き詰める深さや専門性が必要です。一方でそれをベースに新しい産業を興していくためには、単一の深い専門性を持っているだけでは不十分で、広い視野に立って、次々と現れる課題を創造的に解決していく必要があります。
このときも、AIで探し出した最高のレシピを使って、ロボットで正確に細胞培養ができたら、属人性や製造管理の問題など、再生医療の普及に向けたさまざまなボトルネックが解消され、最先端の治療を多くの人に届けられるようになるかもしれない、そんな予感がありました。
また、私がソーク研究所時代に学んだ新しいチャレンジをする条件として、それぞれの分野で最高の人材を集めて挑戦するというものがあります。このときのメンバーに関しては、最高レベルの人材を集めたチームだと信じることができたことも、大きな後押しになりました。
実際に共同研究をはじめてみていかがでしたか?
当時、再生医療を専門とする私のラボに、AIの専門家とロボットの専門家が集まって議論をしているという光景が非常にエキサイティングだったのを覚えています。みんなで私のラボの培養の匠と呼ばれる熟練者を取り囲んで、どこを見ているのか、何を考えているのか、何から何まで事細かく聞き出していきました。そして、その内容をもとにさまざまな新しい仮説や方法を組み立てていく様子を見て、バイオロジーがバイオテクノロジーに変わっていく確かな手応えも感じました。
戸惑ったことや、気をつけたことはありましたか?
異なる専門分野の人々が協力して新しいことに取り組むうえでは、やはり心理的安全性が非常に重要だと思っています。チーム内に心理的安全性があることで、言いたいことが言えるようになり、次々と新しいアイデアもでてくるようになるので。
この共同研究も、異分野の専門家が集まっておこなったものでした。そのため、最初は互いに話す言葉が違いどこまで要求してよいのかなという距離感もつかめない状態からのスタートだったので、意識して少しずつ距離を詰めるようにしていました。
ただ、みなさんが「AIはこういうものですから」といった態度ではなく、私たち(異分野)を根気よく理解しようという姿勢を示してくれました。そのおかげで、徐々に安心感が生まれ、さまざまなことをお互いに自由に話し合えるようになった結果、チームとして歯車が噛み合うようになり、その後は非常にスムーズに進んだと思います。
驚いたことはありましたか?
私たちの使っていた分化誘導方法は、かなり完成度の高い方法だと思っていました。そのため、これ以上の改善はなかなか難しいだろうと思っていたので、AI(とロボット)がそれを軽々と上回る条件を実際に見つけ出したときは、やはり驚きました。
しかも、契約やお互いを理解するための助走期間を除けば、わずか半年ほどの期間でそれを達成したわけですから、AIとロボットの組み合わせが素晴らしい相乗効果を発揮していると実感しました。AIはデータに基づいてより良い条件を考え出すことができ、ロボットは指定された動作や条件を何度でも正確に繰り返すことができます。この二つの強みが見事に組み合わさったのです。
もともと期待していたこと以外の成果はなにかありましたか?
当初の目的は分化誘導方法の改善でしたが、研究を進めていく中で、この仕組みは、細胞製造そのものに活用すべきだという気付きを得ました。細胞製造は熟練者がやっても非常に過酷な作業です。一方、この仕組みを用いれば、効率も良いし、ロボットがおこなうことで大量製造を実現し、その安定性も向上するのです。
また、AIを使った共同研究を一度経験したことで、多くの新しい視点を持つことができました。自分のプロジェクトのあの課題も解決できるのではないかとか、ここにもAIが使えるのではないかと考えられるようになりました。このような最初の経験をトップレベルの人たちとできたのは、この上なく幸せなことだったと思っています。